松島塾
松島を愛する人のための教科書
品井沼干拓の歴史

吉田川・高城川と品井沼干拓について
 品井沼干拓の歴史には、沢山の人々の血と汗と涙がびっしり敷きつめられている。緑の絨毯(じゅうたん)を敷きつめた広大な田園風景は何ものにも変えがたい血と汗の産物である。したがってその歴史は後世に正しく伝えられなければならない。その努力を認めたうえで、現代的課題に正面から向き合ってみたいと思う。即ち、地球環境の保全、野生動物の保護というグローバルな視点から「共生」の道をどう追及できるかということである。

 品井沼干拓の仕事は、数百年かけて営々と受け継がれてきた。その干拓の悲願が達成したときに、私たちははじめて気がついたことがある。「人間が生きるとは何か」「人間だけ良ければそれでいいのか」「人間の行った開発は果たして本当にそれでよいのか」という問いかけである。二十一世紀の課題は、世界中で「人間の文明・開発という大蛇からかけがえのない自然環境と野生動物を守ることの必要性、自然や地球環境との関わりの中で郷土を見直すということの大切さが語られるようになった。
 
 品井沼は今では見事な田園になった。そのかわり、白鳥や雁の飛来する沼や浅瀬がなくなった。天然記念物の品井沼エビやかつては沢山いた蛍やめだかも絶滅種になりつつある。干拓の恩恵を人間だけが独占することなく、白鳥や雁のために沼や池をもう少し残し、冬の田に水を張るなどの事はできないものかという声もある。
 品井沼は、工業地帯のようにコンクリートで固めてしまったところとは違いまだ緑の絨毯として、水田として開発された点では単なる自然破壊ではない。地球環境を考えるということは自分自身の身近な環境に目を向けることでもある。その意味でも品井沼干拓の歴史を今一度しっかりと見直したい。

 いま、広い圃場が整備され、広大な農地が完成したとき、農地の株式参入によって土地が地元外の大資本家によって買い取られることの無いようにしなければならない。そのためには、かつて鹿島台村のわらじ村長鎌田三之助は、青年の頃、東京で明治法律学校(明治大学の前身)で学んだ。
 そして、地元の力だけでできないことは、国や県の力を引き出し、地元農民を結束させることによって大事業を成し遂げた。今また、農地の株式参入が始まるにあたって、農民は、かつて鎌田三之助たちがやったように、三郡の市町村の農民が結束して土地組合を作り、土地の株主となって郷土の土地を守ることが必要である。また、その土地を生かして営農で生きていけるような企業として成り立つ産業を起こし、農業を中心とした総合産業が成り立つように世界に学ばなければならない時でもある。

 鎌田三之助が常に日本の行く末のことを見据えて行動したように、行く末をしっかりと見定めなければならない。日本の真の独立は、軍事的にどこかの国にも従属しないという事と同時に自らの食糧を自給できるようにすることがなくては、成立しないからである。

はじめに
品井沼干拓について
品井沼干拓にかかわった人々
品井沼に関わる川
土地改良区の歩み
あとがき



松島塾内文章の無断転載を禁じます。

 

トップページへ
松島探訪
 ┣ 松島の句碑・歌碑
 ┣ 松島寺滅亡記
 ┣ 品井沼干拓の歴史
 ┣ おくのほそ道を歩く
 ┣ 松島風土記
 ┣ 松島の山野草
 ┗ 拓魂碑について
旅行記(見聞録)
[歴史・歴史物語伝記・他]

品井沼干拓の歴史
品井沼干拓の歴史]
はじめに
品井沼干拓について
品井沼干拓にかかわった人々
品井沼に関わる川
土地改良区の歩み
あとがき

メール
ご意見・ご感想はこちらでお願いします
日記
著者の日々の記録
プロフィール
著者紹介
リンク
リンク集