松島塾
松島を愛する人のための教科書

雄島に入るには、渡月橋を渡らなければならない。松島海岸駅から水族館前をとおり、松島公園事務所・よっとハーバーの前をすぎて雄島入口にいたる。そこからしばらく歩くと切通になっている狭い道がある。そこから少し歩くと広場が見える。
 広場に行く前の右手の山のところに耳社翁句碑がある。山中なので見過ごしやすい。
 続いて、渡月橋をわたり、新右衛門稲荷の前を通り雄島中央部に行くと『奥の細道』の碑が目につく。その周辺にたくさんの句碑歌碑が林立している。


1.耳社翁句碑
雄島に行く途中、渡月橋をわたる前の坂道の南側、森林の中にある。道路からそれているので見過ごしやすい。
  「世の中の富貴ハ暑し山と水」
耳社翁
享和三年癸亥春   女可代
一無 共建之
耳社翁句碑
◎句碑データ
 高さ:五尺(1.51)m
 巾:二尺(0.6)m
 享和三年=1803年

2.蒼々社文鱗句碑
渡月橋をわたり右側へ行き雄島中央部、蓼太句碑の左に並んでいる。
  「松島やしぐれしぐれのいくところ」
蒼々舎文鱗
安政五年
蒼々社文鱗句碑
◎句碑データ
 高さ:六尺五寸(1.96)m
 巾:一尺五寸(0.48)m
 安政五年=1858年

3.雪中菴蓼太句碑
雄島中央部、東側に南山道人碑がある。その後ろに建っている。
  「朝ぎりや跡より恋の千松しま」
雪中菴蓼太
明和戊子之秋 甘泉田口元長書
雪中菴蓼太句碑
◎句碑データ
 高さ:六尺五寸(1.27)m
 巾:一尺五寸(0.48)m
 明和戊子之秋=明和5年=1768年
※雪中庵蓼太は、大島蓼太。江戸中期の俳人。信濃の国(長野県)伊那の人、本名、陽喬。別号蓼太郎、宜来、雪中庵など。吏登に師事。雪中庵三世。江戸座の宗匠たちに対抗して「雪おろし」を著し論争を巻き起こし、しだいに江戸俳壇にその地位を築いた。
・著書「蓼太句集」「芭蕉句解」「七柏集」など(1718〜1787)

4.万橘句碑
雄島中央部、蓼太句碑の西側にあり、南に面し、碑の背面に羽州和田能代住とある。
  「笠捨て是はこれはの秋の暮」
孟千戸万橘
万橘句碑
◎句碑データ
 高さ:五尺(1.51)m
 巾:一尺一寸(0.3)m
 羽州和田能代=秋田県能代市

5.蒼きゅう句碑
雄島把不住軒の北下にあり、東に面している。碑の背面に、「天保十一庚子季秋建之」とある。
  「我たつるけふりはひとの秋の空」
蒼きゅう(そうきゅう)
◎句碑データ
 高さ:六尺五寸(1.27)m
 巾:一尺五寸(0.48)m
 明和戊子之秋=明和5年=1768年
蒼きゅうは、成田蒼?(そうきゅう)のこと。蒼は青い、若いの意味を持つ。(きゅう?)はとも書き龍の子どものことである。江戸後期の俳人、南無庵二世、対塔庵ともいう。加賀の国(石川県)金沢の人。高桑蘭更に俳諧を学び、蘭更没後は、芭蕉堂二世を継いだ。

著「蒼きゅう翁句集」「蒼きゅう翁俳諧集」など(1761〜1842?)は、「きゅう」「みずち」ともいい、想像上の動物の一つ。古くは、「みつち」「み」は「れ」、「つ」は「の」のこと。「ち」は霊物のこと。水中に住み蛇に似て、角や四足を備え、毒気を吐いて人を害するという想像上の動物。?は、龍の子のことでもある。

蒼きゅうは、青い龍、即ち「若い龍」のことである。これは、まだ天に昇れない半人前の龍であるが、天をめざしている龍でもある。



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 2.蒼々社文鱗句碑
 3.雪中菴蓼太句碑
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