松島塾
松島を愛する人のための教科書
おくのほそ道を歩く

「おくのほそ道」の芭蕉自筆本の研究
「野坡(やば)本」
1996年11月26日の新聞で「芭蕉自筆奥の細道発見」と報道された。

これは芭蕉が自筆で書いたもので、それが何らかの経過で志田野坡(やば)の手に渡ったものを「野坡(やば)本」とよんでいる。
「曽良本」
 「野坡(やば)本」が発見される前までは、「曽良本」が芭蕉自筆本に一番近いものとされてきた。曽良本は芭蕉が素龍(柏木素龍)に「おくのほそ道」の浄書を託したときの台本となったものである。
  曽良本は、野坡本を筆写したものに芭蕉自身が改めて推敲し朱や墨で補訂を加えたもの。あるいは素龍が朱や墨で補訂したものとされてきた。
 曽良本を書いたのは誰かということで諸説がある。

(イ)野坡本を書き写したのは「曽良である」
(ロ)芭蕉が利牛(池田利牛)に野坡本を筆写させたもの
(ハ)誰が書いたか分からない
(ニ) 野坡本(芭蕉自筆)は芭蕉の草稿で曽良本もまた芭蕉が野坡本(芭蕉の自 筆草稿)を自筆で浄書したものである。これを兄に渡そうとしたが、註を書き入れてしまった。そこで、能筆家の素龍に浄書を頼んだ。


*朱や墨で註を書き入れたのは芭蕉であるとする説と註を書き入れたのは素龍であるとする説がある。芭蕉と素龍の速筆はよく似ているという。

  これに対し、野坡本と曽良本は一見すると別人の筆のように見えるが、紙の質の違いによるもので筆跡鑑定をしてみたところ両者は同一人物によるものである。

 野坡本は草稿なのでもう一冊の浄書本が出来れば、役目を終わり捨てさられるべきものであった。「おくのほそ道」は、伊賀上野に住み一歩も外に出たことのない兄半左衛門のために書いたものである。したがって、一冊だけ「真本」があればよかった。(松村友次説)したがって芭蕉の「おくのほそ道」研究上、最も芭蕉の意図を伝えているものは曽良本だという。


**何故「曽良本」というかというと曽良の子孫がこれを保有していたからである。曽良は母の実家「河西家」に引き取られて成長した。その後、父の妹の嫁ぎ先である岩波家の養子となっている。したがって、曽良の遺品は河西家に伝わっていた。河西家は富豪で曽良の甥の周徳は、芭蕉や曽良の真跡を写し、正副二本を所持していた。
「西村本」(素龍浄書原本)
 芭蕉が兄に贈り去来が譲り受けた素龍清書の「おくのほそ道」原本は西村家に伝えられてきた。

 芭蕉は、素良本といわれている野坡本(芭蕉自筆原稿)の写し(朱や墨で註を書き込んでいる)を台本に能筆家の素龍に浄書をたのんだ。そしてこれを決定本として兄に贈った。

 素龍は能筆家であると同時に歌学者であった。そのため、芭蕉の書いた原本をそのまま忠実に写したのではなく、所々自分の美意識や見解をもとにかってに書き換えている部分がある(漢字仮名のあて方、送りがなの表記を自由にあらため、まれに語句を改めた箇所もある。

 小異も含めれば、36カ所も異同があるが、芭蕉は間違いを知っていて、目くじらを立てることのほどでもないとして最終決定版とした。)素龍の浄書本は芭蕉が決定版として伊賀上野の兄に進呈した。


  この表紙には芭蕉自身の筆により「おくのほそ道」と記されている。


  この本は去来の懇請により芭蕉の没後その遺言に従い、芭蕉の兄半左衛門から去来に譲られた。
 これが、去来の叔父久米升顕、升顕の女婿吹田几遊、几遊の縁家白崎琴路、琴路の親戚西村野鶴へと譲られていった。
  そして今日まで駿河の西村家に伝えられてきた。これが「西村本」である。

  これが近年、陽の目を見たのは、昭和23年になってからであった。芭蕉没後8年の元禄15年(1702)に京都の井筒屋から版行されている。板本は、去来の所持していた原本を透き写しにしたものである。
「去来本」
 素龍浄書原本を去来自身が筆写したものとされている。
 現存する三種とも去来の筆跡かどうかは分からない。
「柿衛(かきもり)本」
 素龍の筆写による別本である。全体として仮名書きが多く「西村本」より「曽良本」に近い。西村本の完成以前に書写したものと推定されている。

 *素龍の決定版は意図的に36カ所もかってに書き換えられた部分がある。したがって、芭蕉の最終的で完璧な本文は曽良本(芭蕉正筆「奥の細道」曽良本こそ最終自筆本)だと村松友次氏はいう。



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