松島塾
松島を愛する人のための教科書
おくのほそ道を歩く

五月八日(陽暦6月24日)
芭蕉 「あやめ草足に結ばん草鞋(わらじ)の緒」
(曽良随行日記)
八日 麻之内小雨ス。巳ノ剋ヨリ晴ル。仙台ヲ立。十符菅・壺碑ヲ見ル。未ノ剋、塩竈ニ着。湯漬など喰。末ノ松山・興井(おきのい)・野田玉川・おもハくの橋・浮嶋等ヲ見廻リ帰。出初ニ塩竈ノかまを見ル。宿、治兵へ、法錬治門前。加右衛門状添。銭湯有ニ入。
解説
* 出立の日(実際は前日の夜)、加右衛門は餞別に「紺の染緒をつけたわらじ二足」を贈った。「いささか心あるもの」のおくりものである。次の朝(八日)、加右衛門は、海苔(のり)を一包み持参して見送りに来た。
* (巳の刻とは九時頃のことである。)

*俳人北華が「おくのほそ道」の歩き方を次のような道順で書いている。「国分寺、河原町、原町、あんない、びくに坂、今市、市川村、この所壷の碑(いしぶみ)あり、沖の井、八幡村(やはたむら)と尋ね行くべし」

「奥の細道」・・・「奥の大道」に対し「細道」と称した。岩切の東光寺門前付近、冠川(かむりがわ)ぞいの道がそれとされている。
*<東光寺>十符(とふ)の管(すげ)の地に磨崖仏あり。円仁開山。境内の北西に穴薬師とよばれる磨崖仏がある。
 仙台市宮城野区岩切字入山22

(歌枕)「十符の菅(すげ)」
 編み目十筋をもって幅広く編んだ菰(こも)の料としての菅(すげ)を十符の菅という。古歌に陸奥の名産とされ、当時岩切付近で栽培されていた。現在では、利府町が「十符の里」と称している。十符の符は節のこと。この菅には、節が十あり、この節を並べて編んだ菅菰(すげこも)は、きれいな模様が浮き出て珍重された。

『道』

東光寺門前→道なりに西へ四百メートルほど進む→右に入る細道を少し上ると右側に小さな祠(ほこら)がある。この台が原付近が「十符の菅(すげ)」を栽培していたところといわれている。伊達綱村は延宝五年(1677)に岩切村の十符谷(とふがい)屋敷で菅を栽培するように命じた。それ以来、菅菰(すげごも)を藩主に献上するようになった。芭蕉は六百年も前の物語や和歌に出てくる十符の菅が江戸時代に栽培され菰(こも)に編まれていることに強い感動を覚えている。

『道』
東光寺門前→若宮の追分け(右ハしほがまミチ一里二十五丁、左リまつしまミチ三里二十七丁)と刻んだ道標がある→右、塩竈街道→市川村→壺碑(つぼのいしぶみ)「多賀城碑」

壷の碑(つぼのいしぶみ)
壷碑(つぼのいしぶみ) 市川村多賀城にあり。
つぼの石ぶみは、高サ六尺余、横三尺ばかりか。苔を穿ちて文字幽かなり。四維国界(しゆいこくかい)の数里をしるす。「この城、神亀元年、安察使鎮守府将軍大野朝臣東人之所里也。天平宝字六年、参議東海東山(とうせん)節度使同将軍恵美朝臣朝○(あさかり)修造而。十二月朔日(ついたち)」とあり。聖武皇帝の御時(おほんとき)に当たれり。昔よりよみ置ける歌枕多く語り伝ふといへども、山崩れ、川流れて、道改まり、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に代はれば、時移り、代変じて、その跡たしかならぬことのみを、ここに至りて疑ひなき千歳(せんざい)の記念(かたみ)、今眼前に古人の心を閲(けみ)す。行脚の一徳、存命の喜び、羇旅の労を忘れて、涙も落つるばかりなり。
解説
(歌枕)「壷碑(つぼのいしぶみ)」(「実は多賀城碑」)
  壷の碑は、坂上田村麻呂が弓筈(ゆはず)で「日本中央」と彫りつけたと伝えられている歌枕で青森県上北郡天間林村の小字坪村にあったという。仙台藩で江戸時代に「多賀城碑」を発見したとき、万治・寛文年間にあたる十七世紀の中頃、当時の人々は、この碑を壷碑(つぼのいしぶみ)であると思いこんだ。昭和24年に天間村の付近から「日本中央」と刻んだ碑が発見され、一部の学者は本物だといったが異説も多い。
 現在の研究の結果では、多賀城で発見されたものは壷の碑ではなく「それよりももっと古い時代の多賀城碑である」ということになっている。高さ196cm、最大幅92cm。

*小高い丘に現在は、四角い鞘堂「覆堂(おおいどう)」があり、格子に顔を近づけないと中の石がよく見えない。これと同じものの複製が国府多賀城駅の前にある「東北歴史資料館」にある。多賀城碑には位置が記されているだけでなく、その内容は、恵美朝臣朝?(かり)顕彰碑あるいは多賀城再建の碑でもある。

(西行)「むつのくの奥ゆかしくぞおもほゆるつぼのいしぶみそとの浜風」(山家集)



松島塾内文章の無断転載を禁じます。

 

トップページへ
松島探訪
 ┣ 松島の句碑・歌碑
 ┣ 松島寺滅亡記
 ┣ 品井沼干拓の歴史
 ┣ おくのほそ道を歩く
 ┣ 松島風土記
 ┣ 松島の山野草
 ┗ 拓魂碑について
旅行記(見聞録)
[歴史・歴史物語伝記・他]

おくのほそ道を歩く
おくのほそ道を歩く]

はじめに
 ┃
おくのほそ道
 ┣ 発端
 ┣ 行程
 ┣ 五月六日(陽暦6月21日)
 ┣ 五月八日(陽暦6月24日)
 ┣ 多賀城碑
 ┣ 末の松山・塩竃
 ┣ 五月九日(陽暦6月25日)
 ┣ 松島
 ┣ 雄島
 ┣ 五月十日(陽暦6月26日)
 ┣ 「江戸より百里」(一里塚)
 ┃
芭蕉と旅
 ┃
芭蕉は忍者か神か人間か
 ┃
「曽良随行日記」と「おくのほそ道」
 ┃
芭蕉について
 ┃
俳諧の発句と俳句について
 ┃
「おくのほそ道」の書名表記
 ┃
「おくのほそ道」の芭蕉自筆本の研究
 ┃
あとがき・参考文献

メール
ご意見・ご感想はこちらでお願いします
日記
著者の日々の記録
プロフィール
著者紹介
リンク
リンク集