松島塾
松島を愛する人のための教科書
おくのほそ道を歩く

「おくのほそ道」行程 (元禄二年)
「発端(元禄2年、1689年3月27日陽暦5月27日)→旅立ち→草加→室の八島→日光→那須野→黒羽→雲巌寺→殺生石・遊行柳→白河の関→須賀川→浅香山・信夫の里→飯塚の里→笠島→武隈の松→宮城野(五月七日、陽暦6月25日)→壷の碑(五月八日、陽暦6月26日)→末の松山・塩竈(五月九日、陽暦6月27日)→松島→瑞巌寺(五月十日、陽暦6月28日。芭蕉は十一日に瑞巌寺に詣でて十二日に平泉へと志したとしている。)→石の巻(十一日石巻を立。十二日戸今を立。→平泉(十三日、十四日一関を立)→尿前の関(鳴子・十五日、十六日堺田滞留、十七日立。尾花沢着十七日清風へ着、一宿ス)→尾花沢(二十七日立)→立石寺→最上川→出羽三山→酒田→象潟→越後路→市振→越中路→金沢→多太神社→那谷→山中→別離→全昌寺→汐越の松→天龍寺・永平寺→福井→敦賀→種の浜→大垣→跋(ばつ)
                  元禄七年   素龍書

 元禄二年五月二日(陽暦6月18日)福島を出る

 元禄二年五月三日(陽暦6月19日)飯坂を立つ 白石に宿す

 元禄二年五月四日(陽暦6月20日)

(曽良随行日記)
四日
 雨少止(すこしやむ)。辰の剋(午前6時20分頃)、白石ヲ立。
 折々日ノ光見ル。岩沼入口ノ左ノ方ニ、竹駒明神ト云有リ。ソノ別当ノ寺ノ後ニ武隈ノ松有。竹がきヲシテ有。ソノ辺、侍やしき也。古市源七殿住所也。
○笠嶋(名取郡之内)、岩沼・増田之間、左ノ方一里斗(ばかり)有、三ノ輪・笠嶋と村並而(ならびて)有由。行過テ不見。
○名取川、中田出口ニ有。大橋・小橋二つ有。左ヨリ右へ流也。
○若林川、長町ノ出口也。此川一ツ隔テ仙台町入口也。夕方仙台ニ着。其世宿、国分町大崎庄左衛門。

  名取川を渡って仙台に入る。「夕方仙台に着く」
  「其夜宿」国分町大崎庄左衛門「軒にあやめ葺く日なり」
* 芭蕉は5月4日端午の節句の前日と設定してこの文を書いている。


解説
曽良日記に依れば、仙台の宿は国分町大崎庄左衛門となっている。
「宿」・・・大崎庄衛門の旅籠は、国分町二丁目、「瀬戸勝パーキングビル」の所にあったというが定かでない。

*芭蕉は作品構成上、五月四日端午の節句の前日と設定してこの文を書いている。したがって、曽良の随行日記の日付と違う日付を採用する。
それは「おくのほそ道」が単なる日記ではなく、文学作品として推敲に推敲を重ねてつくられたもので作品を盛り上げるために、さまざまな手法を取り入れるのは文学作品の常識でもある。芭蕉は俳諧の人である。作品を遂行するのは当然のことである。

五月五日(陽暦6月21日)「端午の節句・宮城野」
 名取川を渡って仙台に入る。あやめ葺く日なり。旅宿を求めて、四五日逗留す。ここに画工加右衛門といふ者あり。いささか心ある者と聞きて、知る人になる。この者、「年ごろ定かならぬ名所(などころ)を考へ置きはべれば」とて、一日(ひとひ)案内す。宮城野の萩茂り合ひて、秋の気色思ひやらる。玉田・横野、躑躅(つつじ)が岡はあせび咲くころなり。日影も漏らぬ松の林に入りて、ここを木の下といふとぞ。昔もかく露深ければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。薬師堂・天神の御社(みやしろ)など拝みて、その日は暮れぬ。なほ、松島・塩竈の所々、画に書きて贈る。かつ、紺の染緒付けたる草鞋(わらじ)二足餞(はなむけ)す。さればこそ、風流のしれ者、ここに至りてその実(まこと)を顕はす。

  あやめ草足に結ばん草鞋(わらじ)の緒

かの画図(ゑづ)にまかせてたどり行けば、奥の細道の山際に、十符の菅あり。今も年々十符の菅菰(すげこも)を調(ととの)へて国守に献ずといへり。

(曽良随行日記)
五日
 橋本善衛門殿へ之状、翁持参。山口与次衛門丈に而(テ)宿へ断(ことわり)有。須か川吾妻(あづま)五良七より之状、私、持参、大町弐丁目、泉屋彦兵へ内、甚兵衛方へ届。甚兵衛留守。その後、此方へ見廻(みまい)、逢也。三千風訪ルニ不知(しれず)。其後、北野や加衛門ニ逢、委知ル。
解説
五日の日、芭蕉は、橋本善衛門殿のところへ紹介状を持っていったが、病気療養中で面会できなかった。このことをわざわざ橋本家から家臣の山口予次右衛門が国分町の宿にやってきて事情を説明している。
(「いささか心あるもの」とは、「風雅を解する人」のことであり、北野加右衛門をさす。俳号を「和風軒加之」という。
*画工北野屋加右衛門(国分町より立町へ入る左の角の家の内)国分町一丁目「仙台銀行」の所に住んでいたという。
 屋号は、北野屋である。
大淀三千風の高弟で俳諧書林を営んだ。
*芭蕉は大淀三千風を訪ねたが三千風は伊勢に行っていたため不在であった。



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おくのほそ道を歩く]

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おくのほそ道
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 ┣ 行程
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 ┣ 五月八日(陽暦6月24日)
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