松島塾
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ベトナム見聞録

資料
「ベトナムの見所聞き所」
 ベトナム全土を駆け足で旅しようと思ったが、今回は、ベトナムの南部と中部の旅をめざした。

 北部については、日程的にくめなかった。北部は古いベトナムの姿をそのまま残したところで、ベトナムらしさを今も強烈に残しているという。

 南部は、アメリカの支配下にあって産業が発達していた。今回、北の社会主義を目指す勢力が軍事的な力で解放という形で南に入り込んでドイモイ政策を実施しているが、現実はどうなっているのかをこの目で確かめる。資本主義的な発展をしてきた南の勢力と社会主義を目指した北の勢力の間で様々な対立や矛盾がでているともいう。

 日本とベトナムの関係は、平安朝時代の遣唐使阿倍仲麻呂が日本に帰りたくても帰れない状況の中で漂着したことでも知られている。浦島太郎の竜宮城の建物はベトナムか朝鮮かはっきりしないが、ベトナムの建築物に類似している。
 日本の昔話には、桃太郎が金銀財宝をおじいさんおばあさんの住むふるさとに持ち帰る話がある。日本人の多くは子どもの頃から無批判にただ両手をあげて歓迎してきた。鬼とは誰のことか、鬼ヶ島とはどこかを確かめようとすることもなかった。侵略者桃太郎が鬼退治と称して略奪の対象にしたところはどこだったのだろうか。鬼ヶ島はベトナムであったかもしれない。平安時代以来、日本海賊・倭寇は、中国沿岸、朝鮮沿岸を何度もおそっている。日本には無数の桃太郎がいたのである。

 また日本の戦国時代から江戸時代の初期にかけて海外に進出した人々がいた。彼らは、キリシタン禁制と鎖国の犠牲となって外国に置き去りにされた人々であった。彼らは異国に日本人町をつくって生き抜いた。第二次世界大戦では、日本は大東亜共栄圏と称する理想を掲げ、八紘一宇・五族協和を唱えてアジアを侵略支配した。

 ベトナムは日本軍に支配されたとき鉄砲による死者は出さなかったが、日本軍が支配した一年間に食料を取り上げられ百万人から二百万人の餓死者を出した。その経験から、外国支配が続けば犠牲者が大量にでる。戦えば犠牲者はでるが百万人も死ぬことはない。この経験が独立運動に駆り立て、世界ナンバーワンを自認するアメリカと最後まで交戦しついにこれを撤退させた。

 今、世界を見ると「ベトナム、中華人民共和国、キューバ」が目を集めている。ソ連が崩壊し、国営企業のノルマ主義の破綻、巨大化した国営企業の失敗を目の前にして、市場経済の中での社会主義への努力が開放経済の中でどう達成されていくのか。世界中の人々が見守っている。ソ連が崩壊したとき、日本でも社会主義は終わったと本気で解説した人々がいた。彼らはソ連が社会主義の理想だと思いこんでいた。日本社会党などは、社会主義の理想を捨て政党名まで変えてしまった。イタリア共産党もフランス共産党もソ連を指導党として頼ってきたため目標と援助を失って見るも無惨な低迷をし始めた。

 そのようなとき「ソ連は社会主義ではなく、社会主義だとしてもまちがいだらけの社会主義で、それも初歩的な段階のものであった。ソ連は社会主義運動の巨悪の一つであった。ソ連の崩壊を両手をあげて歓迎する。」と語ったのは日本共産党だった。

 ベトナム共産党は日本共産党の機関紙「赤旗」の記事を読んで常に勇気づけられてきたと語った。日本共産党の自主独立路線はベトナムの考え方と共通だというのである。
 ソ連が崩壊したとき、アメリカはキューバ経済の破綻は目の前に迫っていると思った。しかし、キューバは、破綻しなかった。
 どこから見ても破綻寸前の経済を必死になって立て直した。農業生産の自給率を上げ、石油などの資源の不足を切り抜けてきた。市場経済の中に参入して生き抜く道を模索し始めたのである。
 今でも苦しいことにはかわりはないが、国民が,自分達のつくってきた教育の無料化、病院入院の無料化、社会保障の充実への努力を守り抜く決心をしたのである。自由という名前で行われてきた植民地時代のあの無惨な貧乏と奴隷的生活を望むものはいなかった。

 もちろん今でも、政府転覆をねらう策動は常にあり、米軍の基地がキューバにある。それでもキューバ人民は自分達の目指した理想を貫こうとして努力しているという。(当然別の見方もある)。中国もまた開放経済と称して市場経済に参入し大きな影響力を持ちだした。中国共産党は、労働者の代表をもって任じてきたが、今回経営者・企業家にも党員になる資格があるというようになった。

 共産党員は全人民の代表であるという見方になった。市場経済の中で富を得た人々の中に優秀なリーダーが次々にでてきた証拠である。今後、労働者・人民の利益と企業家の利益をどのように調整していくのか新たな課題がでてきている。
 中国はかつての日本が、アメリカ製品のまがい物をつくって「猿まね」といわれながら、いつの間にか独自の製品を作り、アメリカと肩を並べやがては追い抜くものまででたと同じように、中国も今は、コピー商品をつくる国として日本などは脅威にさらされているが、まもなく真性の技術革新によって日本が追い抜かれる時が来るのではないかとも見られている。中国の発展はそれほどすさまじい。広大な市場を持ちながらすさまじい発展をしている。

 社会主義は人類の理想であって、その理想は時間をかけて納得しながら徐々に実現していくものだという。決して急いではならない。国民を信頼し人民の力をきちんと付けていくことによって、国民(人民)自身が自ずから選択していく必然的なものだという。

 ベトナムは、今、激動期にある。南北統一後、急激な社会主義化を行おうとして、生産の停滞をもたらした。南ベトナムを支えてきた有産勤労市民(ブルジョア)の国外流出(ボートピープル)などを経て、現在はドイモイ(刷新)政策をとることにより、生産性の向上、国外にでていった華僑系の勤労市民の帰国、国外に出ていって成功した人々からのベトナムへの送金、などが復活した。

 ドイモイ(刷新)政策は、めざましい経済発展をベトナムにもたらしたが、市場経済との関わりの中でどのように発展していくことが出来るのか。北から来た官僚の支配と南の政府側にいた多くの南ベトナム市民の追放、それに対する市民の不満など、落ち着いているように見える中に沢山の矛盾と一歩間違えば腐敗の温床がごろごろしている。
 過去の歴史と現在を結びつけるものと未来への道をかいま見ることができると同時に、力と力のしのぎあいをどう切り抜けていくのか。理論と実践のかみ合いをじっくりと見学したい。
 レーニン以来の命題でもある「市場経済を通しての社会主義の実現への道」が追求されている。社会主義を目指したものの現実の富の誘惑に負けてしまう俗物官僚が支配的になれば社会主義建設の夢は失敗を見ることになる。哲学と人間性が試されている一大実験場がベトナムだといもいえる。


 そのような政治・経済の世界に翻弄されながら、それでも我が道を行くのがベトナムのたくましい人民の姿といえよう。


 ベトナム人民は、長い間、異民族との戦いを通して自らに力をつけ生き抜いてきた。
 かつては、中国と戦い、フランスと戦い、日本と戦い、アメリカと戦い、今は、富の誘惑と戦い自分自身の哲学と戦っている。現実には、ストリートチルドレンが街にはびこり、おみやげ売り子がまとわりつき、乞食が物乞いをする。油断すれば、ひったくりにあい、かっぱらいやスリが横行する。ちょっと裏の方に行けば、掘っ建て小屋とゴミが雑然としていて、戦後の日本の一時期を思わせる。

 すさまじいばかりのバイクの波、信号機もない中を横断するたくましさを持つヴェトナムの人々は何を思い何を目指して生きているのか。

 様々な視点から現実を直視し、未来への可能性についてしっかりこの目で見ていろいろなことを検討してみたい。ベトナムはこれを指導するベトナム共産党の指導性・倫理性・政治的力量・経済的計画性・世界的視点からの方向性・協調性・融和性などあらゆる面で試されている。

 自主独立の気概と常に世界の先進的な経験に学ぶ柔軟性を身につければ、新しい時代のリーダーとして大きな力を発揮するようになるであろう。
 同じような環境の中で、ソ連が崩壊したときその援助がなくなれば、たちまち崩壊するだろうと思われていたキューバは、自分達が作り上げてきた教育の無料化、医療の無料化などの制度を守り続けた。
 彼らは再び奴隷の道を歩むことを拒否し、自分達のつくってきた優れた制度を守り民族の独立の道を選んだ。

 ベトナムもまた紆余曲折はあっても教育に力を入れ根本的な部門で社会主義の大義を守りながら発展しようとしている。



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